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特定非営利活動法人ふくふくの会

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ふくふくの会本社 ブログ

理事長

上島町生活支援体制整備協議体に参加しました。

 何だか、長い名前ではありますが...先日(6/26)に『平成29年度第1回上島町生活支援体制整備協議体』という会合に参加してきました。

 正直、行くまで何するのかわからなかったのですが(参加した後も、よくわからなかったのですが...('ω'))要するに、上島町の福祉課題について、これまでの行政一辺倒、専門職一辺倒という方法ではなく、地域にある物的、人的な資源を有効に活用していきましょう!という話であったように思う。

 協議に先立って、上島町の保健師から上島町の現状報告があったが、予想通り、決して楽観視できる状態ではない。国の施策として、しななければいけないからする...のではなく、基本的な考えは、コーディネーターが中心となって地域の福祉課題について、協議体が主体的に提案、実行していくというもの...だそうだ。

 行政職員の報告の後の意見交換で、参加者の1人から

『ボランティアゆうてゆうけどの、何でもかんでもボランティアゆうのもどうか思う。草刈りをボランティアでするゆうても、機械を使うたら燃料もいるわな。』

『少し前に"絆"ゆうて、よう言われよったけど、本来的にはの何にもない時から、そうゆうもんは大切にせんといけんのよ。だいたい、人間ゆうんはの、何にもない時じゃのうて、非常事態思わんと知恵も出さんし、助け合おうとせんもんよ。』

『人口ピラミッドでの男の15~19歳が多いんは、弓削商船学校の生徒よの。結局、この子らあは卒業したら、そのままおらんなるわな。商船学校の生徒さんらぁを除いて高齢化率出したら、もっと高い数値が出るんじゃろうね』

など、貴重な意見を聞くことができた。

もっともな話だ。

保健師の言葉...『地域のつながりは畑です』そうゆう、気持ちで気長に大切に考え、実践していこうという話。

イチロー選手の言葉...『遠回りすることが一番の近道』...そうなんやろうなぁ。

僕が参加者の一人として、達成できることは多くはないかもしれないけど、少なくとも『この町に住み続けたい』と願う人に対して、できることを考え、提案してみたいと考えている。

(竹林健二)

瀬戸田介護フェスタに参加しました。

 利用者さん3名とスタッフで、瀬戸田で行われた介護フェスタに参加させていただきました。休みのスタッフも来てくれていて、本当に勉強熱心やなぁと感心させられました。

 どうも、何かのフェスティバルと抱き合わせの企画なようで、会場の周りにいろいろな出し物があって、それはそれで楽しめたし、アイデアももらいました。また、何故か、ボランティアのおじ阿さんとおばさんがハーモニカを吹いて会場を盛り上げていて、いつの間にか僕らも輪の中で大声て歌ってたり...それはそれで面白かった。参加してくれたご利用者も、歌ってくれて...良かった!

 トークセッションに参加させていただきましたが、基本的にはメチャメチャ緊張しました。"仕事をしてきてよかったことは何?"と司会者に質問されて"スタッフの成長である"的なことを答えたけど、そこでは言えなかったけど

 "まず、仕事してなかったら、こんな機会がなかっただろうし、この仕事をしていたからこそ出会えた人たちがいます。仕事をしてきてよかったこと...自分のこの役割と機会を与えてもらえたこと、多くの方と出会えたことです。"

 自分的には内容的にやり残した感もあったけど、何故かハイタッチで参加者と話あえたこと(もう顔も覚えてないけど('Д'))、何故か笑いヨガを全力でしているスタッフをみれたこと、参加してくれたご利用者やスタッフから力をもらえたこと等々...貴重な経験をさせていただいたし、こんな僕にこのような機会を与えてくれたことに感謝!!です。


 また、明日...(早速、深夜勤務っすけど('ω'))から頑張ろう!って力をもらいました。

よう、遊んでもろうたぁ

 長い間、支援させていただいた、律子(仮名)さんが先日、静かに逝った。102歳の大往生だった。

 律子さんは、以前は本社事業部の建物、旧高浜保育所で給食の先生として働かれていた。当時の彼女を知る人(教え子ら)からは、給食センセ・律子センセと呼ばれていたらしい。彼女の働いたであろう場所が、他でもない今の僕の主な仕事場(事務所)であり...律子さんには特別な縁を感じていた。

 "こんなに年寄りにええ世の中になって、私がこの世にいれる時間が少ないのが残念でならない"
 "年とってええこと?あるわけないでしょう!"
 
 彼女と出会って、一貫して彼女が言ってきたことは"死にとうない"である。とは言っても、"おしっこいきたい""寝かせください"と、かなり"ネバッコク"言うもんだから、時には彼女の声が聞こえないように、みんなが集まる広間から遠くにいる時間を設けたりもしたし、夜の彼女の大声が他の利用者の迷惑になるからと、彼女をどこで寝てもらうか、どうしたら彼女が寝てくれるかと何度も話し合ったし、そもそも何度もトイレに行きたがるけど、全然でないし、そのトイレに行くことに何の意味があるのか考え、トイレに連れていけないことで自分達を責めることもあった。

 まだ、彼女の支援を振り返るには時間が必要だけれども、そんなこんなの支援のすべては、彼女の"生きたい"に応えるものだったように思う。のどを詰まらせながらも食事を摂り、背中を叩かれながらも食事を摂り、ただただ、生きることには前向きだった。
 
 その朝、僕は深夜勤で朝のミーティング後にお決まりのパット交換のために彼女の部屋を訪れた。その表情からは、もう長くないことはわかったが、律子さんの顔をのぞきこみながら"おはようございます"といってみた。すると。彼女は何度も口をパクパクさせながら、茶目っ気たっぷりの目で僕を見返してきた。この口をパクパクする動作は"なんか口に入れて下さい"というサインなのだ。

 "なんか食べたいんかい"と聞くと"食べたい"と声にならない声で応じて、少しだけ笑った。こんな状況下でも、いや、こんな状況だからこそ、律子さんは必死に生きようとしていた。
"律子さん、死にそうなんかい?"笑いながら聞いてみた。すると、一瞬、彼女は目をまん丸にして驚いたような顔をして、でも、はっきり"いいや"と笑った。死ぬ気なんでサラサラないのだ。

 いつもの自分の部屋のスピーカーから聞こえるお経を口ずさみ、広間から聞こえるみんなの声を感じ、いつも名前を呼んでいたお嫁さんに寄り添われて、かつての職場の中で、静かに逝った。

 みとりの支援とは特別なものではなく、日常の"生きるための"ケアの連続であり、結果であることを彼女は教えてくれた。だって彼女は死ぬために生きたことは一瞬たりともなかったのだから。

 呼吸の止まった彼女のもとへ、彼女からしてみたらずいぶん年下の利用者さんをお連れした。
 "もう100じゃけん、年に不足はないよね"
 "ただ、よう遊んでもろうたぁ。ありがとうね。"彼女は泣いていた。それを見ていた律子さんの息子さんも泣いていた。

 ほんとそうだと思った。
 律子さんには振り回された...いや、そんな言葉じゃない。"よう遊んでもろうた"そんな言葉ががぴったりだ。

 律子さん、ホンマ、よう遊んでおもうたぁ。ありがとうね。

(竹林健二)

新年あけましておめでとうございます!

本年も、よろしくお願い申し上げます。

昨年は、多くの方々に支えられて、本当に感謝、感謝の年でした。素晴らしい出会いも多くありましたが、残念ながら、多くの大切な方々とのお別れもありました。一つ一つの積み重ねが、私達に大きな力を与えてくださいました。

今年も、お一人おひとりの人、一つ一つの支援を丁寧に大切に、職員一同、誠心誠意、関わらせていただきたいと思っております。

どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。

みなさまにとりましても、幸多き年でありますことを、お祈り申し上げます。

特定非営利活動法人ふくふくの会 理事長 竹林健二

平成29年 元日

レモン石けん

 永さん(事務職)が「竹林さん、私の子供の頃、通ってた小学校に黄色いレモンの形をした石鹸があったんですが、ご利用者さんの時代にもあったんですかね。確か、ミカンのネットみたいなものに入れてぶら下げとった気がするんですけど...」

 

 そういえば、あったなレモンの形の石けん。婆ちゃん達は使ったんかな。で...早速、Amazonで購入➟吊るしてみました('ω')

 そーっと様子を見てると、めっちゃナチュラルに使ってくれてる!今のことを忘れてしまって、何をしていいかわからなくなったとしても、昔していたことは覚えているんですね。

 食べ物と間違えてレモンの石鹸をくわえたカラスが夕焼けの空に飛んでいく...そんな情景を思い出しました。ご利用者さんも優しい思い出が少しでも回想されたら嬉しいです。

爪切りレク

 何年か前に上島町の主催するフットケア講習を受けたことがあります。2日間の講習で実際に足の爪を切り、足浴して、なんちゃってマッサージをしました。人に足を触ってもらうのって、少し抵抗はありましたが、足浴やらなんやらしてもらうと、それはそれで気持ちいいもんです。

 それから、利用者さんの手足の爪を注意して見るようになりました。私見ではあるけど、介護関係の良好なご家族さんは爪切りが行き届いていることを発見しました。もちろん、関係はいいんだけど、爪切りまで手が回らない方もいます。

 また、歩行の機会が少ない方の爪は健全な方向に向いて伸びていかないことや爪水虫の方が多いこともわかりました。

 目は口ほどに物を言うといいう言葉がありますが、年を重ねた方の手足の指を見ていると、その方の人生が意外なほど伝わってくることに驚かされます。熱い船の上で作業をしていた方の足はゴツゴツして乾燥していたり、専業農家の方の手は節々が固く曲がっていたり、長らく土建会社で働いていた方は90歳を過ぎても意外なほど力強かったり...。

 それに、自分の足を触られる気恥ずかしさからか、多くのことを語ってくれるんです。沈黙も、もちろんいいけど、何気ない会話をするのが好きで自分の中では[爪切りレク]って呼んでます。

 これからも、ちょいちょい現場に出て、爪切りレクしようって思ってます。

いただき物

『以前、親父がお世話になったんですよ。家を空けるんで、使えるものがあったら、ここで使ってほしいんですよ。』

突然に事業所に来られた男性。以前、当事業所を利用していただいた方の息子さんとのこと。早速、その夕方にお宅に伺い、ソファーや食器、コーヒーメーカー等などいろいろと頂いた。

『こうゆうのって捨てられないんですよ。使ってもらえると僕らも嬉しいから』

亡くなった方を想う気持ちは変わらないのだろう。事業所には、そんな家族の[想い]で溢れている。

『使ってもらえんじゃろうか?』そうゆう家族さんは、もちろんだけど、当会を利用されていなかった方の家族さんからも、そうゆう声がかかるようになった。ありがたいことだ。事業所が地域に方に支えられていることを感じずにはいられない。正直、いただき物の中には"使えない"ものもあるんだけど、そこは丁重にお断りするか、了解を得て廃棄するようにしている。(僕が"宝の山"と呼んでいる大谷の粗大ごみ処理場にもっていくのだ)

○○さんのブランケット、○○さんの車椅子、○○さんのシルバーカー、○○さんのポータブルトイレ...。そんな想いに囲まれて、私達は仕事をさせてもらっている。

それらの物を見るとき、どうしても、持ち主に想いを馳せる時がある。あの方への支援を振りかえり、今の支援を省みる機会にもなっている。

高齢者虐待に関する研修

 先日、当会の社内研修で上島町役場健康推進課の職員を講師に招き[高齢者の虐待について]の講習がありました。目に見える"(身体的)虐待"だけではなく、心理的虐待や介護放棄、性的虐待や経済的虐待について学び、行政としての相談から対応までの流れを学びました。

 グループワークで[グレーゾーン](ストレートに虐待とは言えないまでも、虐待に発展する可能性のある事例)についてチームの中で協議する時間があり、その事例の一番最初の項目が、

[声かけなしに、ベットから車椅子に移乗させる]

というものでした。これって、[当たり前に何かしら声をかけるよね]という感じですが、また、逆に、[できてそうでできない][もっとも根本的なこと]のように思えました。

 例えば、車椅子を後ろにさげる(少し動かす)時はどうでしょう?自分がそうされたらどうだろう?と考えると...。
確かに暴力的な言葉を浴びせることは、思いっきり[心理的虐待]ですが、そこには言葉があり、対象は[人格ある人]です。事例のように[声かけなし(言葉のない)]状態は、対象は[物]になってしまいます。

 また、言葉をかけるにしても、言葉かけと行動が同じタイミングになっていることも多くあります。[ベットに移りますよ]といいながら、すでにベットに座っている、[車椅子を動かすよ]といいながら、すでに車椅子は動き始めている...これでは[言葉かけ]ではなく、単なる[かけ声]でしかなく、[かけ声]はつまりは自分自身のためであって、そこに相手の存在はない(対象が[物]になっている)ということになります。

 再度、現場において、介助動作の時に言葉をかけることはもちろんですが、そのタイミング(その言葉はご利用者にどんな意味を持つのか)をも考えながら、自らの支援をチェックしていこうという話になりました。

 意識しながら動いてみると、案外、自分がセッカチなんだと気づきます。(少なくとも僕はそうでしたね(笑))
 小さな行動を気にかける、徹底することこそが虐待予防の近道ではないかと強く思いました。

それぞれの特技

 事業所にはいろいろな特技を持ったスタッフがいます。それは、茶道であったり、お菓子作りであったり、運動であったり、プログラミングであったり、花づくりや畑いじり、模型製作であったり、袋の収集であったり、倹約であったり...。

 本人がそれと自覚している場合もありますが、他から見て[特技](癖)と気づく場合もあったりもします。生活を支える介護の仕事の中で、ご利用者はもちろんですが、スタッフの特技(癖)が生活に彩りを添える場面があります。それも、自然発生的に生まれるのです。その瞬間、当然、そのスタッフはイキイキしますし、周りの雰囲気も、やっぱりパァーっと明るくなります。その瞬間を見るのが、私はとても好きです。

 ご利用者、スタッフのもつ、その人のカラーが混ざり、事業所全体のカラーを作っているんですね。

 今日は、茶道をしてるスタッフによるミニお茶会。

 ご利用者はもちろんですが、スタッフがイキイキできる職場にしていきたいです。

しまで生きぬく...とは

 当会の活動理念は[しまで生きぬく]です。

 約12年前に活動を始めたころ、弓削島の中に介護付きの宿泊できるサービス(今でいうシュートスティ)がなかったので、冠婚葬祭等でご家族などの介護をしている方に用事ができた場合は、お年寄りを島の外の施設などに預けるしかありませんでした。

 

 80代、90代の方々にとって、[知らない場所]にいくことの抵抗感は強く、また認知症を発症している方などは環境の変化からか、症状が悪化して帰ってこられることが多くありました。

 島の中に、ご家族が安心して預けられる、また抵抗感が少なく[最後の時まで]利用できる[場所]を創りたい...これが私達の創業の想いです。

 

 それから、多くの方々の協力や支援に恵まれ、その[場所]を創ることができ、多くの方の[最期の時]に関わらせて頂きました。多くの方々に、私達を共に生きるものとして選んで頂くことができました。

 

 

 そのうちに、単なる[場所]としてではなく、その質を考えるようになりました。[死ぬこと]は、すなわち[生きること]だからです。どう死んでいくかは、どう生きてきたか、どう生きていくか...ということです。単なる場の創造にとどまらず、今、私達は[どう生きていくか]と自らの支援を省みながら、日々の実践に取り組んでいます。

 

 しまで生きぬく...とは

 この島で(住み慣れた家や地域の中)、しまで(最期の時まで)、自分らしくイキイキと住まい続けること。共に生き、共にその支援を考え、実践していくことこそ私達の存在意義です。

(竹林健二)