音楽に合わせて木魚を叩く利用者さんと、私がふくオカリナで時々するコラボ。
私のふくオカリナに合わせて木魚をたたいてくれる利用者さんは、曲が終わると決まって「80点じゃね」なんて評価してくれます。評価がいいと、次はガンバロウ!と思えるし、何より楽しいです。
その利用者さんは、必ず私に「何か歌を唄ってくれ」といいます。私は「私は声が出ないから、オカリナだけにしてね」といいます。そうゆう、何気ない会話が嬉しいですね。
これからも、一緒に音楽を楽しみたいです。
(岡野芳己)
12年振りにテレビを見れる環境にしました。
ボーっと過ごすには最高に良いものに思います。つけるにあたり考えました。弓削では最初の支払い全部で4万2千円、これも躊躇した一つです。最近のテレビは内容を選ばなくてはなりません。以前は私の子供の頃は、心を養う様な番組だった様に思います。
それと、テレビは時間泥棒です。自由といゆものはアッと言う間に時間が過ぎます。この3週間テレビに支配されていた様に思います。優先順位を考えながらテレビを見ます。
(向井幸枝)
この頃、自分との付き合いで疲れてしまうことが多々あります...
その一つに子育て中、苦肉の策で思い付いた
急に人が来るとわかった時の対応^ ^とりあえずこの箱に入れて、後で片付けようとしたのがきっかけで、片付けた気になり
そしてその箱の存在を忘れてしまい...
押し入れにまだ数箱あります...
先日、社会人二年目に入った息子の部屋を掃除していて
五段の衣装ケースの一番下の引き出しに
何か書いてあり
しゃがんでまじまじ読んでみると
と・り・あ・え・ず入
と読めるではありませんか‼︎
引き出しの中にはごちゃごちゃと入っています。
結構 衝撃でした〜
私のしていたことを見ていたんだと...全く嬉しくない気分です。
しいて言えば
箱から引き出しに進化が見えますが、そう言う問題でもないなぁ
(村上香)
少し前のことです。
ある利用者さんに名指しで呼びつけられ、こんなことを聞かれました。
「こなぁいだお姉さんとお風呂入ったじゃろ...それがおかしぃんよ...ちょっとした空間でなぁ服が無くなっとんよ」
決して"あんたじゃろ!"とは言ずもって回ったじわじわくるパターンです。一緒に部屋を探そうと言っても拒否されしばらく問答。
そしてついに、「私が着たらブカブカやのに盗りゃあせんよ!!」
と、その方の耳が遠いこともあり、思わず大きな声で反論してしまったのです。
いわゆる『物盗られ妄想』なのですが、その時は感情的になってアンガーマネージメントなど頭から吹き飛んでおり、あとから反省しきりでした。
まだまだ勉強が足りません(泣)
なのですが...
日ごろから落ち着いて考えるよう心がけているせいか、しばらく涙を流していないことに気付きました。(図太くなっただけ(苦笑)
ボロボロ泣けたらスッキリするのに、何を見てもウルっで止まります。感受性をこじらす前にオンオフを上手に切換えねば。
(原田美保)
昨年の4月から介護職員として働いています。
島と言います。よろしくお願いします!
以前は事業所のお掃除の仕事をさせてもらっていました。
ありがたい事に、結婚出産を経て、介護スタッフとして復帰させていただきました。
いつでも暖かく迎えてくれるスタッフさんや利用者さんに感謝の日々です。
今回は保育所に通う息子と接する中で、ふと気になった事をお話しします!
写真は今の季節よく見かける植物。私は『豆ぷー』と、小さい頃から言っていました。
でも、少し世代が違う夫には通じず夫は『豆笛』やろ。と言いました。
そして保育所の先生は『ピーピー豆』と言っていました。
皆様はどのように言いますか?
その地域によって名称が違うものなのか、方言なのか?
面白いなぁと^_^
こんなしょうもない話題ですが、
また利用者さん達にも聞いてみたいなぁと思いました!
余談ですが息子は私の真似をして『豆ぷー』と言っています。
(島愛)
冬の貴婦人とも呼ばれるクリスマスローズ。恥ずかしそうにうつむいて咲いているのでそっと顔を見てあげると一つ一つ個性がある。
大阪からの引越しのトラックに2鉢のクリスマスローズをそっと積み込んでから早14年。我が家の庭はクリスマスローズの花でいっぱいになりました。変わった品種が出ては買い求め、株分けしたり、種ができるものは種をまいて増やし、休みの日は庭でゴソゴソしているのがとても楽しく、癒される。
4月は弓削地区のお大師さん、島四国があった。
毎年、この行事が終わると花を切ってブーケにし、花友達にプレゼントしたり、お部屋に飾ったりしてこれから休眠期に入るクリスマスローズをバックヤードに置き換える。鉢植えは特にこれからの管理が大変で、水切れはもちろん、水をやり過ぎてもいけないし、夕方気温が下がってからの水撒きが大変なのだが、なんとも言えない花姿を見るためには重要な作業なのである。
また来年、素敵な花が見れますように・・・。
(尾崎三千恵)
この度、リュックサックを購入しました。
私の記憶では、小学生時代のランドセルくらいしか、リュックを背負ったことが無いと思います。手提げ型の袋が好きなので、リュックが欲しいと思ったことがありませんでした。
ですが年を重ね、多くの荷物を手提げで持つのが、しんどくなってきました。リュックを80才くらいまで使いたいので、明るく落ち着いた色にしようと思い、「ワイン色」にしました。ネットで頼んだので、届いてみると、「う~ん!」でした。「あずき色?」「バーガンディ?」制服と同じ色だし、あずき色は好きな色だから、「こんなもんかなぁ?」でした。
さっそく今月から使う予定です。雨の日は、濡れないように気をつけないといけないけど、使い勝手がいいと聞いたので、楽しみに使いたいと思います。80才までリュックを背負って、元気に歩いて行けることを願っています。
そして今では、使い勝手のいいコロコロ車も欲しいなあ、と思っています。
(松浦あさ子)
先日、祖父が亡くなりました。
元々は家でこけて膝を打ち、父に診療所に連れて行って貰い、腹の辺りがチクチクするとのことで、紹介状を書いて貰って、検査入院したのですが、それから4日後に亡くなってしまいました。
亡くなる日に、僕は深夜勤明けだった為、弓削から因島病院に行って、少し顔を見て帰るつもりでした。というのも、祖父は以前も検査入院したことがあり、その時は一週間程で退院したので、今回も一週間程で退院するだろうと思っていたからです。
しかし、病室に着いてみると祖父はベッドの上でとてもしんどそうにしており、入院前とは別人のようでした。僕の声にも僅かに顔を動かす程度で、もう喋る事さえ出来ないようでした。どんどん脈が弱くなっていく祖父を、僕はただ、祖父の手を握りながら涙を流して見ている事しか出来ませんでした。
僕が病室に着いてからたった20分程で、祖父は亡くなってしまいました。最期に傍に居たのは僕と祖父の妹の中で1番年上の妹さんだけで、父達は間に合いませんでした。あまりに突然のことだったので、家族や親戚はもちろん、祖父と交流のあった方々も驚いていて、僕自身も、こんな事になるなら、もっと会いに行っていれば良かったととても後悔しました。僕がこの仕事に就いた理由は祖父が介助が必要になった時に、仕事としてやっていればある程度は出来るだろうと考えての事でした。
しかし、ほとんど何もしてあげられないまま、祖父は逝ってしまいました。毎年年末には祖父と二人で神棚や仏壇の掃除をするのがちょっとした楽しみでもあったのですが、もう祖父は居ません。その事がなんだかとても寂しく、悲しいです。しかし、祖父に何もしてあげられなかった分、ふくふくの利用者さん達に、別の形で何か出来ればと思います。
じいちゃん、今までありがとう。
(宮本一樹)
学生の頃は、「死」というものが怖くてたまりませんでした。今思えば、わからなかったから怖かったのだとわかります。
ふくふくの会に入社して、初めて施設で亡くなられる方を見た時、ショックや悲しみ、恐怖といった感情を持ったことを覚えています。
それから、時が経ち、どんなに長生きな方でも必ず最後があること、永遠の命はないことを利用者さんたちが教えてくれました。そして、次第に、「死」を特別視する必要がないこと、精一杯生きて亡くなることは、悪いことじゃなく、むしろ生き抜いたことであり、かっこ良く感じるようになりました。
「身体が動くうちにいろんなとこ旅行しなさい。」
年をとっての楽しみは?
「食べること、それだけ」
利用者さんの言葉が、頭にストックされていきます。あの人に言われたからって、かっこ悪い理由ですが、旅行に行く時は、必ず旅行好きだった利用者さんを思い出しますし、ちょっとオシャレなレストランでスープをスプーンで飲む時は、食べることが好きだった利用者さんを思い出します。
認知症だって、怖いものでは、なくなりました。認知症とまとめていいのかと思うほど、理由や症状は人により違います。それに、その前に、〇〇さんであり、〇〇さんの症状の一つであるだけだからです。
「私が、おばあちゃんになって、施設に入れてもらえたら、神戸プリンを差し入れに持ってきてね。」と、割と本気のお願いを周りにしたり(笑)
限りがあるから、人生楽しいんだと思えるようになりました。後回しにせず、今を楽しみ、いろんなことに挑戦して、家族や施設で可愛がられるおばあちゃんになりたいですね。
(村上永)